挿話 『夕闇の思考』

 家は古くから続く名家だった。
 大聖堂と関わりが深く、重鎮も数多く輩出している。
 傾いた日差しが窓から細長く床を横切り、壁に切れ込みのような赤を映す。暗くなりつつある室内で、灯り一つ点けずに物思いに耽る彼もまた、神に仕えることを職務としていた。
 明るい日差しの下であれば人目を惹く金の髪も、自信と誇りが滲み出る長身も、今は影に沈みつつある。
 そんな中で身じろぎ一つもせず、闇が支配し始めた広い部屋の片隅で、徐々に細く暗い赤に変わってゆく日光の残滓を見つめていた。
 彼がこの家を継ぐ事は、とうの昔に決まっている。
 むしろ彼自身、そのつもりで生きてきた。
 父親や先ごろ鬼籍となった祖父も、当たり前のように次の家長として彼を育ててきたのだろう。当主として家を切り盛りするための知識は、すでに十分受け継がれている。
 唯一懸念があるとすれば、冒険者として相方だった現在の妻だ。
 けして出自が卑しいという訳では無いが。
 いや、よしんばそうであったとしても。彼は彼女以外の人間を妻として迎える事を、全身全霊で拒否していただろう。
 この先の人生を共に歩む相手に、彼女以外は考えられない。
 親族の中には身分違いを問題視する動きが、少なからずあった。本家を継ぐ長男の嫁ならば、それ相応の家柄の娘を。という意見が当時存命だった祖父の耳に、さりげなく、しかし頻繁に入っていたのは事実だ。
 しかし彼女を妻にしたいという当の本人には、それを問題にする意識が欠片も無かった。
 自らの伴侶を決めるのに、なぜ実の親でもない親戚に反対されねばならないのか。一族の総意として当然の反応だったとしても、当事者でありまだ若かった彼には、納得のいかない意見だったのだ。
 祖父や両親も、彼女の人柄をすぐに気に入ってくれた。
 母親は庶民の娘という事に、少なからず心配があったようだ。
 古い家柄というものは、いささか面倒な事が多い。彼女の血筋云々よりも、彼女自身がこの中に入ってやっていけるのか? という部分を心配していた。
 柔らかい人当たりのわりに芯の強い所がある彼女と直に会ってからは、この娘ならば大丈夫だろうと判断したようだ。
 結婚が本決まりになった時に、一番喜んだのは母だった。子供は男の子ばかりだったので、実は女の子も欲しかったのかもしれない。
 両親共に、今では実の娘のように可愛がっている。子供が出来てからは、彼以上に両親の方が幸せを満喫しているようにしか見えなかった。
 妻はそんな様子で、家の中では十分上手くやっている。
 彼が正式に家督を継いだあとも、この女性ならば大丈夫だろう。
 だが、それでもやはり。妻を案じる気持ちが、時折首をもたげる。
 結婚するまでは気ままな冒険者として暮らしてきた女性だ。むやみやたらとしがらみの多い旧家の当主夫人となった時に、息の詰まる思いをしなければいいが。
 今は生まれた子供の世話で日々忙しくしているが、あの子達の手が離れたら、また二人で狩りに行ってみようか、と思う。少しは息抜きになるだろう。
 彼女が子供を身篭ってから、彼も狩りに出向く事が無くなった。
 一人でも狩りに行けない事はないが、もはやそれではつまらないのだ。
 冒険者の間で新たに国交の始まった国や、新しく発見された地域の話題が出ている事は知っていた。
 いつかそんな場所に、熟年夫婦のペアで行くのも楽しそうじゃないか。
 お互い冒険者を引退した訳でもなく、転生してからの経験も十分積んでいる。知らない場所へ行く前に、慣れた狩場で勘を取り戻すのもいい。
 未来の息抜きに思いをはせ、心は少し浮き上がるが、また思考は元の場所へ戻る。
 彼がこの家を継ぐ事は、すでに決定事項だ。
 大聖堂でも、次期当主として認識されている。
 だが、周知ではない。
 そして、あくまでも”次期当主”なのだ。現当主は変わらず彼の父親であり、全ての決定権を握っているのは父だ。
 しかしいつ何時、不測の事態で現当主が動けない事態になったとしても。最悪、死ぬ事があったとしても。次期当主として諸々の事柄を引き継ぐ準備はできている。
 家として繋がりのある王族や貴族、騎士団や大聖堂の上層部にも面通し済みだ。
 果てはそれぞれの権力的均衡や、各人の性格や嗜好、抱えるしがらみについても享受されている。
 もちろん、表の繋がりだけではない。裏の繋がりについても。
 すでに当主として振舞えるだけの基礎は、全て整っていた。
 だが、それでも彼は次期当主であり、まだ当主ではない。
 にも関わらず、”それ”は父親にではなく、彼に伝えられた。
 伝えるべき相手を間違った、とは、考えられない。
 何代にも渡ってやりとりをしてきた相手だ。あちらも代替わりしているだろうとはいえ、現在の当主が誰であるかくらい知っての事だろう。
 彼はまだ直接対面した事はないが、その存在は父から聞いていた。
 だからこそ”それ”を伝えられた時、すぐさま彼らだと思ったのだ。
 いや、”彼ら”ではなく、”彼女ら”というべきか。
 書面や伝聞でもなく、耳打ちという冒険者なら誰でも使える手段で”それ”を伝えてきたのは、落ち着いた女性の声だった。
 現在の頭目が女性だという事も、父親から聞いている。だが、けして侮ってはいけない、とも。
 多少の冷たさは感じたものの、深く落ち着いた声は耳に心地よかった。
 完全に勘であったが、あの声の主が頭目本人のものであると彼は確信している。
 だがしかし、これはどういう意味なのだろうか。
 正式に家を継ぐ前に、次期当主に挨拶、などというような平和な内容ではなかった。
 むしろ”それ”は父に伝えられてしかるべき内容だったのだ。
 何しろ家を継ぐための知識はあっても、実権は持っていない。
 伝えられた事柄に対して対処しようにも、彼には動かせる権力が無かった。
 ではなぜ”それ”を彼に伝えたのだろう。
 声を聞いてから一両日は経っている。父親は普段と変わり無く、現当主が対処するために手を打っていたならば、動くべきはずの部分に動きは無い。
 つまり、父親には伝えられていないのだ。
 ならば現状、彼がどうにかする他はない。
 聞いた内容をそのままに父親に伝える事が、おそらくは一番簡単な対処法なのだろうが。
 おそらく、それは正解ではない。
 父ではなく彼だけに伝えられたという事実に、少なからず彼を試す意味合いがあるのではないかという気がしたのだ。
 いずれ当主となった後、取引を続けるに相応しい人物か否か、と。
 であれば、これは自分で解決しなければならない。
 とはいえ、当事者に助言を与えれば終わってしまいそうな事柄でもあるが。
 他にできることと言えば、冒険者として培った人脈や、聖職者として勤めている大聖堂でのツテを使って情報を集める事くらいだろうか。
 何もしないでいる訳にもいかないのだ。事は人の命が関わっている。
 しかも関わっている命は、彼と血のつながった身内なのだからなおの事だ。
 
『弟ごの身にお気をつけください。何故かは存じませぬが、命を狙われております』
 
 声は、そう彼に伝えた。
 弟と聞いて驚き、狙われているのは自分ではないのかと確かめもしたが。間違いなく弟の方であると声は言った。
 さてどうしたものか、と。
 夕陽すら過ぎ去り、薄らぼんやりとした暗闇に沈んだ部屋の中で彼は思案した。
 命を狙われる事があるならば自分だろうと踏んでいただけに、弟に危機が迫っていると言われても、気をつけなさいと助言する以外の対処法が浮かばないのだ。
 しかもあの子は真面目で、そんな事を言われては自分一人で抱え込んで解決しようとしかねない。
 助言は逆効果になりそうな予感がひしひしとしてくる。
 さりとて何も言わず、何もしない訳にはいかない。
 弟にも想い人があり、相手も心憎からず想ってくれていると知っている。
 そして弟は自分自身よりも、その想い人を守る事を優先させるだろう。己の命が狙われていると知れば、想い人が巻き込まれることを一番危惧するはずだ。
 やはりどう考えても、弟がたった一人で立ち向かおうとする姿しか浮かばなかった。
 父であれば多少強引な手段を使ってでも、弟を亡き者にしようとしている人物の”考えを改めさせる”ことができるだろう。
 だが彼にはまだ、その強引な手段を使うための実権が無いのだ。
 せめてどこの誰が命を狙っているのかがわかれば、裏から手を回す事も可能だったかもしれない。
 声は、その点に関しては一切言及しなかった。
 弟は人の恨みを買うような性格ではないだけに、心当たりは全く無い。もし狙われているのが彼自身だとしたら、いくつか思い当たる節があるので手の打ちようもあったのだが。
 可能性として考えられる事は、逆恨みだけだ。
 しかしそうなると、本当に誰が命を狙っているのか全くわからない。
 さて、どうしたものか。
 最善の方策を探る思考は、日が落ちきった後の真っ暗になった彼の書斎で、夕食を知らせに来た使用人の驚きの声に中断されるまで続いた。

2010.7.14

あとがき


謎の挿話その2。
謎っていうか、色々あからさまですが・・・。

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