第1話 『記憶喪失』




 愛称というものは、必ずしも名前から直接連想される物ばかりではない。
 と、思う。
 だが、俺がなぜ「レイン」と呼ばれるのか、その理由は皆目見当がつかなかった。
 目が覚めてから二時間ほどたつが、謎が増えるばかりだ。
 最大の謎であるところの自称俺の恋人は、意識が戻ってから血相を変えてクレアの部屋に乱入してきた。
 また俺に向かって突撃してくるのを、本能的にバックスッテップで避けたところ、また派手に壁に激突して撃沈する。
 我ながら実にアサシンらしい身のこなしで満足した。
 なぜ避けるのかと哀しそうな目で見られたが、だから普通は避けるだろう。
 そうは言っても現在のところ、記憶を無くす前の俺を知っている唯一の人物のようだから、あまり無下にもできない。
 だがあまり関わりたくないような気もする二律背反。
 とりあえずそれなりに話し合おうという事になり、場所を移動する事になった。
 俺とクレアは、めそめそと鬱陶しいプリーストを引き連れて、階段を下りて一階の居間へ向かう。
 ギルドの規模がどれほどの物か知らないが、ギルドハウスは割と大き目の一軒家。小さな宿屋程度、だろうか。
 二階の廊下で目に見える範囲には扉が三つあった。廊下が途中で折れていたので、その向こうに何部屋あるのかはわからない。
 俺が最初に目覚めた部屋は二階の空き室だったようだ。
 クレアの部屋はその隣。リカードがどこに引きずられていって、どこからすっ飛んできたのかはわからない。
 建てつけはしっかりしているらしい、きしむ音もしない階段を下りてたどり着いた居間は、それなりの広さがあった。
 有象無象が共同で生活する場だけに、あまり家としての個性は無いが。漆喰で白く塗られた壁も、木目も鮮やかな床も、綺麗に掃除されている。
 廊下や階段もそうだったが、飾り気が一切無い代わりに掃除は行き届いているようだ。
 花や絵画が飾られている訳でも無いが、暖炉やソファに日常的に使っている痕跡があるからか、地味に暖かい生活感が伝わってきた。
 すぐ隣は食堂と台所になっている。
 食卓らしいテーブルには椅子が六脚。
 それが全員分かはわからないが、少なからずそれだけの人数がいるのだろう。
 俺はとにかく目に映る物は何でも珍しいので、あたりをきょろきょろと眺め回していた。
「落ち着きの無い男だな……」
「何か思い出す切欠になる物でもないかなぁと思ったんだが」
 クレアの呆れ声にそう答えると、リカードがすがりつく様な目で俺を見る。
「さっぱりだな」
 目に見えてがっくりとうなだれるのがちょっと面白い。
「とりあえず好きな所に座ると良い。……リカード、お茶を入れてくれないか? ラズも呼ぶから、四人分たのむ」
 言われたプリーストは、俺にたっぷり未練がましい視線を浴びせてから、台所へと去った。
「ラズっていうのは?」
 俺は聞きながらソファの適当な席に座った。
「……」
 返事をしないクレアをふと見ると、立ったままなにやら感心したような顔で俺を見ていた。
「何だよ?」
「いや、……やはりお前は、信用ならんな」
 小さく笑い、窓を背にした奥の席に座る。
「何のことだ?」
 クレアは答えずに、周りを見ろとでも言う風にあごをしゃくった。
 彼女が座ったのは俺の右手側だ。左側には何も無く、そのまま食堂と台所につながっている。
 向かいの壁に扉一枚分ほど出っ張っている場所があるが、おそらく玄関だろう。
 その出っ張りにそって視線を前に戻せば、向かいのソファの向こうに質素なカーテンの引かれた窓がある。
 俺の後ろには何も無い壁で、食堂との境あたりに暖炉が、その向こうにさっき入ってきた扉。
 後ろの壁の向こうには廊下が続いていたはずだから、奥にはまだ何か部屋があるのだろう。
 ぐるりと見回してみたが、やはり意味がわからない。
 クレアに視線を戻すと、今度は呆れたように溜め息を吐かれた。
「失礼な奴だな」
「お前、さっき立っていた場所から一番近かったのは、そっちのソファだろう」
 俺の不平は無視して、クレアは俺の向かいの席を指差した。
「そうだったっけ?」
 言われてみればそうかもしれない。
 が、それがどうして信用ならない事になるのか?
 ソファは低いテーブルを囲むように、コの字型に配置されている。クレアの座った席は一人用だが、俺の座った場所と向かいのソファは二人用、詰めれば三人くらい座れそうな余裕がある。
 無作為に座ったつもりなだけに、言われている事の意味がわからない。
「窓を背にする場所には座らない。……無意識にやった事だろうが、つまり、常に周囲を警戒する必要のある人間だった。と言う事だろう、お前は。どんな生き方をしてきたのか知らないが、他者を警戒しなければいけない人間は、総じて自身が危険人物である場合が多い。ゆえに私は、お前は信用ならない、と判じた」
「……凄いなお前」
 思わず感嘆の声を上げると、クレアは疲れたような顔をした。
「もう少し緊迫感は持てないのか、記憶が無いのだろう」
「いや、無いもんは仕方が無いし、現状を受け入れるところから始めようかと」
「ならあれも受け入れるのか?」
 そう言って視線で示した先には、台所でお茶の準備をしているプリーストの後姿。
「それはちょっと悩むな」
「常識は持ち合わせているようで安心したよ」
 クレアは大真面目な顔で言った。

2008.6.8

あとがき


この後、本格的に進まなくなったのでしばらく間が空きます。
ここまでは企画の趣旨通りに書いていたんですけどねぇ・・・。

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