恋人がもてる。と言うのは、それなりに自慢できる事だろう。
むしろちょっと誇らしくも思えたりする。
だがしかし。
目の前でその恋人が口説かれているとあっては話が別である。
「ものには限度ってもんがあるだろうがいい加減にしやがれこの野郎!!!」
ハンマーフォール!ハンマーフォール!ハンマーフォール!ハンマーフォーール!!!
所はプロンテラ大聖堂近く。
のどかな昼下がりに大音響が響き、目を回す騎士の姿があった。



先だって臨時の狩りで知り合ったというやたらに背の高い銀髪の騎士は、惚れこんだプリーストの元に日参する勢いで通っていた。
とっくの昔に振られてはいたが。
尚且つ、プリーストの恋人からハンマーフォールをお見舞いされる事も一度や二度ではなかったが。
今日も今日とて、プリーストのギルドが溜り場としている大聖堂近くの木立の下に、目当てのプリーストとその恋人のブラックスミスの姿を見つけ、特攻をかましたというしだいだ。
この二人以外にあたりに人影が無いのを良い事に、口説くのみならずベタベタ触っていたら、ハンマーフォールの連打を頂いた。学習能力が無いというよりも、殴られるくらいはどうでも良いと思っている節がある。
困ったものだ。
プリースト本人は、口説かれるくらいなら適当にあしらっていたし。触られても特に気にする風でもなく、鬱陶しくなれば愛用のバイブルで殴り倒していた。
本人が気にしないのならと我慢していたが、さすがにブラックスミスの堪忍袋の緒が切れた。と言ったところだ。
「いやー、相変わらず手首のひねりが効いたウォルサードのハンマーフォールは威力あるな」
まだ目をチカチカさせながら頷きつつ言う騎士に、ウォルサードはがっくりと肩を落とした。
こいつは本当に馬鹿なんじゃないだろうか………。
正直言って自分の恋人にまとわり付く邪魔者以外の何者でもないはずなのだが、コールと名乗ったこの騎士をウォルサードは妙に嫌いになれないでいた。
親しくなってみれば、お調子者だが良い奴で、付き合って楽しい男ではあったのだ。
だがそれだけではなく。
同じ相手に惚れこんでいるのだ。邪魔と言えば邪魔だが、なんと言うか妙に哀れみさえ浮かぶこの気持ちはなんだろうかと考える。
しばらく考えて、適切な言葉が浮かんできた。
同病相哀れむ。
これだな、と、内心で深く頷く。
邪魔者を哀れむというのも変な話だが、実際哀れに見えてくるのも事実だ。
自分も他人からは哀れに見えるのだろうかと、そう思うとウォルサードは微妙な気持ちになるのだった。
そんな気分のまま恋人の顔を見やると、騎士を煩そうな顔で見ている。
実際、騎士は煩いほどよくしゃべった。
しゃべるついでにまたプリーストの隣に座り、肩を抱いた上にもう一方の手が開いた胸元から内側へ入りかけている。
「ねぇ、ジェイドさん。俺がダシに使われてるのは自覚してるけどね。あんまり抵抗されないと、良いのかなー?って気にもなるじゃないですか」
「良かぁねぇ!っていうか、ダシって何だーーーー!!!」
騎士からプリーストを勢い良く引っぺがし、ウォルサードは鼻息も荒くプリースト、ジェイドを自分の腕の中に抱きかかえた。
まとわり付く騎士の手からブラックスミスの腕の中に移動して、プリーストは深くため息をつく。
「………こういう事だ」
「え?何?」
「………いや、なんでもない」
ウォルサードの腕の中に大人しく収まりつつ、その鈍さに呆れつつも感謝していた。
恋人にやきもちを焼かれるのも、嬉しいのだ。それが意図的ではなく、自然な行動であれば尚更。
現在この腕の中がジェイドのお気に入りの場所だったが、そんな事を素直に白状する玉ではない。ただ、やっと落ち着いたという風にくつろいだ表情を浮かべた。
袖にされ続けている騎士は、それでも何だか妙に満足そうにプリーストを見ていた。確かに惚れてはいたが、どちらかと言うと『綺麗なものを見たい』心境で通っているのだ。
自分と二人きりの時はほぼ鉄面皮と言っていいジェイドが、恋人といる時にはその表情をなごませる。
ちょっかいを出すたびにハンマーフォールをお見舞いされているが、穏やかに変わる表情を楽しめるならそれくらいはどうという事も無かった。
ウォルサードが怒れば怒るだけ、彼はほんの少し嬉しそうに表情を和らげる。
自分に対する時の無表情との落差がいっそ見事で、それがまた何となく悪戯心をくすぐって同じ事を繰り返してしまうのだ。
凍てつく冬のように冷たく整った顔が、春の陽気のように穏やかに変わる。そのどちらともが綺麗で、思わず滾ってしまうのも事実だったが…。
たとえ男でも綺麗なものは良い。
コールはひっそりと拳を握り締めた。
ウォルサードが牙を剥きそうな勢いで睨みつけてくるが、そんな事はどうでも良いのだ。
今日もたくさん触れたし幸せだ。
と、どうやら満足しているようだった。
「……ジェイド、お前ももう少し抵抗しろよ」
「んー、まぁなぁ……」
疲れたような声で言うウォルサードに、その腕の中で背中を預けながら、ジェイドは気のない声であやふやな返事を返した。
結果的にこうなるのが嬉しいから構わない、とは、口が裂けても言わない。
「たまには刺激があるのも良いじゃないか、なあ?」
「なあ、じゃねぇよ」
代わりに答えたコールに、勢い良く突っ込みを入れた。
ウォルサードにはたまったものじゃないが、はたから見ればノリツッコミ漫才のようではある。
実際ジェイドは笑いを堪えていた。
「いやいや〜マジな話、いっつも同じ相手で飽きたら声かけてよ。俺はつまみ食いでも大歓迎だから」
にっこり笑って言ったコールに、腕にジェイドを抱えているウォルサードは反応が遅れた。
「あー、俺ギルメンから呼び出しかかっちゃったから。名残惜しいけど今日はこれで」
ジェイドの手を取るとその甲に恭しく口付けし、ウォルサードが両手で扱う斧を片手で無理やり振り上げた頃にはペコペコに跨って遥か遠くまで走り去っていた。
「あ〜の〜や〜ろ〜」
悔し紛れに腕の中のプリーストを力いっぱい抱きしめた。
「………」
「………?」
いつもなら苦しいと文句が出るはずのジェイドが、何の反応も示さない。不思議に思い腕を緩めて顔を覗き込むと、そこには能面のように無表情に整った顔があった。
「ジェイド?」
「……ん、何だ?」
やっと気が付いたように顔を向ける。
無表情はわりといつもの事だが、親しい人間がいる時はそれなりに表情が豊かなのだ。
何かがおかしい、と、ウォルサードは思った。
「………怒ってる?」
「何でだ?」
途端、いぶかしげな顔になる。
たしかに、怒っているわけではなさそうだ。
「お前、気分悪くなるならもうあいつ近寄らせない方が…」
「ああ、そうじゃない」
「じゃ、何だ?……何か変だよ」
「……そうか?」
お前が気を使うなんて意外だ、と言わんばかりにジェイドは薄く苦笑いを浮かべて。ほんのわずかに身体の位置をずらして肩口に頭を乗せる。
甘えているようなその態度に、ウォルサードはついどきりとした。
「なあ、そっちのギルドのお使いはもう無いのか?」
「ああ、うん。当分は暇だな」
「………そうか」
うつむき加減で見えにくかった顔が、不意に上を向いたと思ったらあごの辺りに唇が触れた。
「……ジェ」
「それじゃ、久しぶりに狩りでも堪能しに行くか」
言い終わらないうちに腕をすり抜けて立ち上がる。残されたウォルサードの腕が所在なさげにさまよった。
反応しかけた身体の一部をどうしてくれる…。
「どこに行こうか?」
とりあえず落ち着くまでの時間稼ぎに聞いてみる。
ジェイドはあさっての方向を向きながら考え込んだ。
「そうだな、行った事のない場所なんかどうだ。無茶しに行くのもたまには良いだろう?」
にやりと笑ったジェイドの顔に、ウォルサードも笑みを返す。
確かに、そんな狩りもたまには良い。
速度増加の魔法に身体が軽くなるのを感じながら、ウォルサードはジェイドと共に歩き出した。



狩場はウンバラからニブルへ、埒が明かないのと敵の数に対応しきれないからとまた狩場を変え。行ける範囲を点々としつつ、夜が更けるまで狩り歩いた。
気持ちの良い疲労と充足感に浸りながらプロンテラへ戻る。さすがに疲れたから、と、お互いの下宿に分かれて帰って。
それきり、ジェイドは姿を消した。



「ほんっとにどこ行ったか知らないか?」
翌々日の昼近く。場所はまた大聖堂近くで、ウォルサードは青い顔をしながら、ジェイドの所属するギルドのマスターである赤毛の女騎士と対峙していた。
「そー言われても、一昨日から会ってないのよねー。ギルドチャンネルで話しかけても返事が無いし、耳打ちも通らないし。コール君も何回か来たけど、彼も知らないみたい」
小首をかしげながら言う。その仕草は可愛らしいが、現在のウォルサードの目には入っていない。
「あいつが何かしでかしたんじゃないのか!?」
「ウォル君と一緒にいる時に別れて以来、会ってないって言ってたから違うんじゃない?…ね、本当に何も聞いてない?」
「聞くも何も、一昨日はおやすみって言って分かれただけだし。どこかに用事があるとか何とかまったく言ってなかった」
んー、と、騎士も唸って首をかしげた。
「パーティーは解体されてるし、耳打ちは通じないし、下宿屋に行ってもいないみたいだし……」
昨日一日は大人しく待った。
何か用事があるのかもしれないと思ったし、なにより特に約束もしていなかったからだ。
パーティーリーダーはジェイドで、解体されている事に気がついたのは昼を回った頃。その時に「おや?」とは思ったが、特に気にしなかった。
夜になり、せめておやすみの挨拶でもしようと、用事があるなら邪魔をしてはいけないと思って控えていた耳打ちを送ろうとして、それが遮断されている事に気がついたのだ。
その後はもう、街中走り回り。溜り場とジェイドの下宿と往復して回り。眠れないまま朝を迎えた。
つい先刻、ジェイドのギルドマスターに耳打ちを送って相談するという手段を思い出したのだ。
「ウォル君、何か変なことした?」
「してない何もしてない!」
「………何もしてないから怒ったとか?」
えへ、とか笑いながらとんでもない事を言う。
意味を察したウォルサードは一気に脱力した。
「………ミレス」
「まあ、冗談はさておいて。どこかに殴りに行ってるとかはないかな?あの人、機嫌悪くなると結構殴りに行く人だから」
「あー………」
そんな行動に出る人間なのは知っていた。
しかし、怒っているにしても理由がわからない。
自分が原因だとしたら、少なからず心当たりもあるはずなのに。
だいたい機嫌が悪くなる主な原因といえば『会えない』だとか、『会えても二人きりの時間が無い』だとかで、わかりやすいと言えばわかりやすいのだ。
「よし、キリヤ。来い」
「えぇぇ何で俺!?」
すぐ近くに座っていたアサシンの襟首をつかんで立ち上がらせる。
「パーティー解体されてるから俺じゃ居場所が特定できないんだよ。お前ならギルドマーカーで近くまで行けばわかるだろ」
「俺じゃなくたって良いじゃないかぁぁぁぁぁぁぁ」
「安心しろ、カートに肉は満載してきてる」
「どこが安心、って、待って〜〜〜。ウォルさん最近ジェイドに似てきたよ!」
引きずられて行くアサシンに「頑張ってね〜」と手を振って、ミレスはジェイドの行きそうな場所を思いめぐらせた。
殴るならついでに空きビン拾いだろうから、ポリン島か蛙海岸。そうでないとすると、支援プリーストが一人で狩りにいける場所。
アマツの畳迷宮か修道院、カタコンベと言った所だろう。
カタコンだったらキリヤご愁傷様〜って感じね。
そんな場所に行ったら、おそらくはガスガス攻撃を食らうであろう格のアサシンに、ミレスは内心で合掌した。



ミレスが予想したその全ての場所を、悲鳴を上げながら付いて来るアサシンと共に、念のため2回3回と繰り返し見て回っても、ジェイドの痕跡はどこにも残されていなかった。
畳迷宮でアコライトに聞いても、そんなプリーストは見かけていないと言う。
修道院で一人狩り続けていたローグに聞いても、返事は同じだった。
ジェイドが一人で狩りに行って、趣味と言って良い辻支援を行っていないとは考えられない。
それだけは、ありえなかった。



「死ぬかと…、死ぬかと……」
「はいはい、お疲れ様〜。よく頑張ったわねー」
キリヤの頭をなでながら、玩具工場で昔ひろったキャンディーを一つ、手に握らせてあげるミレスだった。
「わりと避けてたじゃないか」
「あら、そうなの?じゃ、今度ジェイドに付き添ってもらって行ってきなさいよ、修道院。ミミックから紫箱出ると美味しいわよ〜」
「当たんないだってばっミミック!」
青い顔のままキリヤは叫んだ。
キリヤはクリティカル攻撃型のアサシンだが、ミミック相手にはまだ半分は空振りする。
「で、どこにもいなかったわけね?」
半泣きのキリヤはもうほうっておいて、ミレスはウォルサードに向き直った。
ウォルサードはただ、硬い表情で頷く。
ミレスはしばらく考え、頭を掻きながら一つ頷いた。
「待ちましょ」
「!?……何かに巻き込まれてたら!」
「もし危ない目にあうかもしれないと思っていたら、先に何か言ってるはずだもの。急に巻き込まれたとしても、絶対に手がかりは残して行く人よ、あれは」
用意周到だとか如才が無いだとか形容詞はさまざまあったが、ミレスはとにかくジェイドの咄嗟の判断力という物を信じていた。
ああいう人相風体で、しかも職業がプリーストときている。ろくでもない趣味の厄介な人間に、目を付けられる事など日常茶飯事だったが、それでも全てかわしてきているのだ。
彼は大丈夫。
と、心の中で唱えた。
気安く装ってはいても、彼女もやはり心配ではあるのだ。
「何かに巻き込まれていたとしたら、絶対に目撃者とかいるはずだし。それを考えてたら無駄に動き回るよりも、情報を集める方が先でしょ?」
ミレスの言葉に、ウォルサードは頷くしかなかった。
確かに、ジェイドは目を引く。
何事かに巻き込まれていたら、目撃者の一人もいるはずなのだ。
そして、彼は自分を良く知っている。
ジェイド自身はさほど自分の容姿を気にしていないようだったが、それが人目を引く、ある特殊な趣味の人間には特に。という事も知っていた。
だからこそ、おめおめと危険地帯に足を踏み入れることもしないし。危ないと少しでも思えば、必ず安全を確保してから行動するのだ。
そうでなければ一人でふらふらするのを、いくらミレスでも放任してはおかないだろう。
「あー、ウォルサードいた!」
遠くから聞こえた声に目を向ければ、コールが長い銀髪をなびかせながらペコペコを駆ってやってくる所だった。
「貴様ジェイドをどこへやった」
「開口一番それかこの野郎」
「あ、いらっしゃいコール君」
二人の憎まれ口はすでに挨拶レベルになっているので、ミレスは欠片も気にせずコールに挨拶した。
「ジェイドはまだ帰ってないのよ〜」
「そうですか……」
コールとミレスは同じ型の騎士な上に、ミレスの方が冒険者の格も上でジェイドが所属するギルドのマスターときている。コールからしてみれば小さくて可愛い女の子なのだが、彼はミレスには敬意を持って接するようにしていた。
一応、騎士道精神やら礼儀は身に着けているのだ。
コールはペコペコの上で肩を落として気落ちしていると思ったら、ふいにくるりとウォルサードに向き直った。
「お前はジェイドにどんな恥ずかしい事をした〜〜〜〜!」
「してねぇ!!!」
「そうか!嫌がるジェイドにあんな事やこんな事を無理やり、させたんだな!!」
「させてねぇ!ってか、何で皆して話をそっちに持って行く!?」
「だって、ねー?」
「ねー?」
うんうん。
あっはっは。
コールとミレスは仲良く頷きあって笑った。
………駄目だこいつら。
ウォルサードは深いため息をついた。
「………キリヤ」
「もうカタコンは嫌です!ハンターフライもミミックもしばらく見たくない!」
「そうじゃねぇ…」
更に疲れながらウォルサードは首を振った。
「しばらく臨時募集の看板あたりとか、気をつけて見ててくれないか?」
「へ?………あ、ああ」
一拍置いてから合点がいったように頷いた。
つまり、情報を集めろという事だ。
臨時の冒険者募集やギルドメンバーを募集する看板が立ち並ぶあたりには、それ以外にもただ話し相手を求める人間が看板を出している事がある。
とにかく看板をあげるには人目につきやすい場所なのだ。何かおかしな物を見た人が、そこにいるかもしれない。
きっと大丈夫、あいつは自分から危ない真似をする奴じゃない。
と、そうは思っても。現在のジェイドの行動は、それが己の意思で行われている事ならば、彼本来の行動とは思えないのだ。
機嫌が悪くて会いたくない時でも、それなりに前振りがあるのだから。
だからもし、何か情報があるのなら可能な限り集めたい。それがウォルサードの正直な気持ちだった。
「俺も狩りの行き帰りとか、気をつけてみるよ」
コールも一応殊勝に言った。
ウォルサードには冗談めかして絡んでいるが、彼も心配しているのは事実だ。
「ところで、立ち回り先には本当に心当たりが無いのか?」
コールにそう言われても、ウォルサードは力無く首を振るしかない。
「えー?……なんか無いのか?…こう、思い出の場所とか。………二人が初めて結ばれた…」
「だから妙な事に絡めて考えるな!」
「良いじゃないかー、ノロケくらい聞かせろよー」
「なんでそうなる!?」
どうしてこいつと話すとこうふざけた調子になるのだろう、と、瞬間ウォルサードは遠い目をした。
「とにかく俺は待つ。待つと決めた。お前も鬱陶しいから帰れ」
「うわー、ひでぇ」
だが、そう言いながらもコールは笑っていた。
「でも本当に待つしか手が無いから、コール君も特に探そうとしたりして無理しないでね」
「あの人は大丈夫でしょう、俺も大人しく待ってますよ」
一度手痛い目にあわされているコールは、ジェイドの危機回避能力を身を持って知っていた。
何か危ない事に巻き込まれていたとしても、必ず隙を突いて連絡を入れるはずだ。自分ではなく、ウォルサードに。
そう思っていたからこそ、ジェイドは自分から姿を隠しているのだろうと考えていた。その理由まではわからなかったが、ウォルサードが何も知らないのなら、尚更それは自分の意思でしている事なのだと思う。
何の前触れも無く姿を隠した事自体は、何かあったのだろうかと心配にはなるが。
雲に隠れた月を見たいからといって、その雲をどかせる術などあろうはずがない。その美しい面が現れるまで、風の流れに任せるしかないのだ。
コールは最初から、ジェイドから姿を現してくれるまで待つつもりでいた。
それでも毎日、日に何回もこの場所を訪れるのは、帰ってきても自分に連絡は無いだろうと思っているからだ。
ある意味で自覚はある男だった。
「皆も心配かもしれないけど、とりあえずできる事なんてないから。今日は解散。ね?」
ミレスはそう言って手を一つ叩いた。
待つだけなのは性に合わない、とウォルサードは思ったが。為す術もないのだからそれは仕方がない。
「キリヤはまたソルスケ狩り?」
「………買った方が早いんじゃないかと最近思う」
がっくりと項垂れるアサシンの肩をぽんと叩いて、ミレスはにっこりと笑った。
「そんな時こそ、古く青い箱や古い紫色の箱よ」
「ミミックはああぁぁぁぁぁぁぁぁ」
泣きながら走り去るキリヤを見送って、ミレスは残った二人に向き直った。
「私の方に連絡が来たらすぐに知らせるから、二人も自由にしていてね」
二人揃って同じように頷いた。
けっこう仲が良いわよね、この二人。
ミレスは思ったが口には出さなかった。
お互い、誰にでも連絡が来たら知らせあう事を約束して。コールは狩りへ、ウォルサードは自分のギルドの溜り場へと向かった。
この中で一番居ても立ってもいられないのはウォルサードだろう。
ウォルサードの所属するギルドメンバーも、各地に散らばって活動している。
更には商人ギルドとしての独自の情報網も持っていた。主には価格相場や各地での消耗品の需要に関してだが、買取りを行う商人の顔の広さは馬鹿に出来ない。
その情報網を使うつもりなのだろう。
ミレスは一つため息をついた。
狩りに行こうという気分ではない。
溜り場としている付近の木にペコペコをつないで、ミレスは狩りから戻ってくるギルド員をぼんやりと待つ事に決めた。



あれから3日。
ジェイドが姿を消してから、5日が経とうとしている。
ウォルサードはその間、何もせずにミレス達の溜り場でぼーっとしていた。
何となく、帰ってくるとしたらここだと思ったのだ。
未だに何の連絡も無く、無事かどうかもわからない。
ミレスやコールはジェイドを信じているようだったが、流石に不安の影が現れ始めていた。
「ウォルくーん、いつまでそこで置物になってるの?」
不安を吹き払うように、ミレスは軽く言った。
そこにいる事自体は構わないのだが、待ち続けるウォルサードが日々憔悴していくようで、それが気にかかる。
「ああ、毎日居たら邪魔だよなぁ、…俺」
「そうじゃないけど…」
申し訳無さそうに言うウォルサードの隣に座って、ミレスはその顔を覗き込んだ。
「ちゃんと寝てる?ごはんも食べてる?…ここで倒れられたら、あたしがラヴニールさんから怒られちゃうからね」
ウォルサードは思わず苦笑いを浮かべた。
「何もする気にならないのにさ、時間がたてば腹が減るし眠くなるんだよ。……まいるよな」
「健康だっていう証拠じゃない、ちゃんとしてないとジェイドが帰ってきたらはたき倒されるわよ?」
しばらくミレスの顔を見てから、そうだな、と苦く笑った。
「ねえ、ウォル君。今度鈍器祭りやらない?」
唐突にミレスは言った。
「は?」
「あたしは鈍器も扱えるし、ジェイドもね。他にもいると思うのよ、うちのギルドにも鈍器使える人。あ、でも借りないといけないかも……」
「いや、貸すのはそれはまぁ、良いんだけど。……どうして急に」
「ん………、ちょっとね。景気良くぱーっと遊びたいな、って思って」
気を使ってくれているんだろう、と、流石のウォルサードにもわかった。
ミレスだってずいぶん心配なはずなのに、自分がこれでは情けなさすぎる。と、反省もする。
早く帰って来い馬鹿野郎、と内心毒づいて。ミレスのギルド員で鈍器装備が可能な者が何人いるか、開催するとしたらいつごろが良いだろうか。等、表面だけでも楽しそうに計画を練り始めた。
そんな時。
「あのー」
控えめに声をかけてきたのは、茶色い髪をした剣士の少年だった。
「はい、何かしら?」
ミレスが少年に顔を向けて明るく言う。
少年はどう見ても14歳か15歳ほど、顔にそばかすの浮いているような子供だった。冒険者もまだまだ駆け出しと言った風情。
「あ、キリヤさんと同じギルドの人だ」
キリヤが『さん』付け!?
その場に居た二人の内心の動揺は露知らず、少年は安心したようにニコニコとしていた。
「で、えーと。何かご用?」
子供に向けるような笑顔を作ろうとして失敗したような、微妙に引きつった表情でミレスは少年に聞いた。
彼はほんの少し不思議そうな顔をしたが、何か間違いが無い事を確かめるように一つ頷いた。
「探してる人、見かけたらここに知らせに来て欲しいって……」
「見たのか!?」
「どうどう、落ち着いてウォル君」
思わず立ち上がって少年に詰め寄りかけたウォルサードの胴に、ミレスがしがみついて止める。
驚いた少年は5歩ほど後ずさっていた。
「ごめんねー、驚かせちゃって。それで、どこで見かけたの?」
なだめるように笑顔を浮かべながら、ミレスはついでに「噛み付かないから大丈夫よー」と付け加えた。
「えっとあの、ついさっき向こうの方で歩いてるのを……」
指差した方角は、街の中心の方だった。
「一人だった?」
ウォルサードにはしゃべらせないようにと、ミレスが素早く問うと少年は頷いた。
「そう。………それで、具合が悪そうとか、怪我していそうとか、そんな風に見えた?」
「ううん、普通に歩いてたよ。本をいっぱい抱えて」
本?
ウォルサードとミレスの頭の中に、同時にクエスチョンマークが浮かんだ。
「そう、良かった。……どうもありがとう、知らせてくれて」
「いえいえ〜」
お使いが済んでほっとしたのか、少年はにっこり笑って立ち去った。
姿が見えなくなるまで手を振って見送ってから、ミレスはようやくウォルサードの方を向く。
「無事みたいね」
「………あいつ、何やって」
心持ち唖然としたように、ウォルサードは呟いた。
一体なにをやって5日も姿をくらませて、しかも本を抱えて普通に歩いていた?
目撃者が現れたことは大変嬉しいが、妙に合点がいかない。
「ほら、落ち着いて。座りなさいって。もしかしたら部屋に帰ってるのかもしれないし、待ってようよ」
「そうだ下宿!」
座ったと思った瞬間にウォルサードは立ち上がった。
そのまま駆け出しそうなところを、ミレスは愛用の長剣の柄で後頭部を強打する。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっっ」
「もー、落ち着きなさいってば。入れ違いになったらどうするの?」
「って、そんな事言って…」
結局何かに巻き込まれていて、ここに顔を出せずにいたらどうするのかと。
後頭部を押さえつけながらうずくまり、そんな考えを気持ちに籠めて涙目でミレスを見上げてみたが。まったく通じてないようだった。
「人のたくさんいる所にいるならね、ジェイドは大丈夫よ」
微笑むミレスに、止めるにしてももう少しやり方があるんじゃないだろうか?と、思いながら。それでもウォルサードは頷いて見せた。
ジェイドという男は卑怯なくらい、立ち回りは上手いのだ。
「だから、もうちょっとここで待って…」
「……何してるんだ?」
相変わらず後頭部を抑えたままうずくまるウォルサードと、普通に座っているミレスの会話に割って入ってきた、呆れたような声はよく聞きなれた、けれどこの数日間でとても懐かしくなった声。
二人同時に、弾かれたように声の主に目を向ける。
そこには声と同じように呆れた顔をして、次いで二人の勢いに驚いた顔に変わった、一冊の本を小脇に抱えたプリーストが立っていた。
「ジェ…」
うずくまっていたウォルサードが立ち上がるよりも早く、ミレスはジェイドの目の前に立った。
黒髪のプリーストを見上げ、にっこりと微笑む。
「おかえりなさい」
「ああ、…ただいま」
ミレスはその返事を聞きながら、ジェイドの頬を包むように両手を上げ。
ぱちんっ、と音をさせて、頬を挟むように叩いた。
「!?」
「みんな心配したの。今度から遠出するときは、先に一言残して行ってね」
目を白黒させていたジェイドは、少し微笑んで頷いた。
「うん、ごめん」
「……ん、よろしい。心配してくれた人には後でちゃんと謝るのよ?」
満足したように宣言するミレスに対し、ジェイドはほんの少し恥ずかしそうな顔をした。
「そんな大事になってるのか?」
「それは自分で確かめなさい」
笑顔のミレスにジェイドは複雑な表情になる。本人には大事になる自覚が無かったようだ。
ミレスに出鼻をくじかれたようなウォルサードは、完全に毒気を抜かれてようやく立ち上がった。
「……ジェイド」
「ああ、久しぶりだな」
その笑顔は、普通に数日あけて会った時と、同じものだった。
無事な事がわかり、本人が目の前に現れ、安堵感や怒りや嬉しさや、色々な感情が渦巻いてもう訳がわからない。
はじめに言うべき言葉はいくつも考えていたはずなのに、ウォルサードは何一つ思い出せなくなっていた。
「お…かえり」
「うん、ただいま」
ようやく搾り出せたのは、そんな言葉だった。
目を見て話す、その声を聞いた瞬間、もう何がどうでも良いような気になってくる。
のろのろと近づいて行く、そこで微笑んでいるのは、まぎれもない本物で実物のジェイドなのだ。
手が触れられる距離になった途端、思い切り抱きしめた。
「お…ま、……いきりなり。…苦しいぞ」
ジェイドは不服を申し立てて、身じろいで腕を緩めようとするが、ウォルサードの腕はがっちりと背中に回って隙間も作れそうに無い。
金髪を肩口にうずめて抱きついているこの男は、まるで親に取りすがる子供のようだと、ジェイドはふと思った。
「どこ、行ってたんだよ」
「ジュノー」
「………は?」
そっけない返事に、思わずウォルサードの口から間抜けな声が漏れた。
「図書館の蔵書が入れ替えられたと聞いたんでな、読みに行ってた」
「5日もかぁぁぁぁぁ!?」
思わず肩をつかんで引き剥がすと、ジェイドは心底心残りだと言わんばかりにため息をついた。
「それでも読みきれなかった…」
「図書館丸ごと読んでくるつもりだったのかぁぁぁぁ!?」
「いや、既読の本も多かったからな。あと10日ばかりかけたらもう少し…」
「借りて読め!!!」
力の限り叫んでから、ウォルサードは肩で息をした。
「ああ、そのつもりで上限一杯借りてきた」
と、小脇にしていた革装丁の重厚な本を持ち上げて見せる。借り出した本のうちの一冊らしい。
深緑色をした表紙には、流麗な金文字で難しそうな題名が付いていた。
辞書もかくやという分厚さの本は片手で持つには重そうで、その中に羅列されているであろう文字を思い浮かべるだけでもウォルサードは目眩がした。
そういえばこいつ本の虫だった……。
本が山積みになっているジェイドの部屋の有様を思い出して、ウォルサードはなぜ図書館に思い至らなかったのかと軽く落ち込んだ。
どこにも見当たらないという段階で、何か事件に巻き込まれたんじゃないかとの心配が先にたってしまった結果だったが。
「………で、読書に埋没して、耳打ちも遮断して、ギルドチャンネルにも答えなかったのか」
「ああ、集中して読みたかったし。ギルドは…、そういえば何か聞こえていたような気はするが」
「集中しすぎだ……」
こんどこそ本当に、ウォルサードは疲れきった。
「何か面白い本はあった?」
とりあえず一段落ついたらしいと判断して、ミレスはジェイドに話しかけた。
「ああ、なかなか興味深い本が増えていたぞ。アラガム・サレーのホルグレンに関する書物なんかは、ウォルは一度目を通しておいた方が良いんじゃないか?」
収穫に満足しているのだろう、くすくす笑いながらジェイドは言った。
「他にも色々と、……そうだな、一度行って目録を見た方が早いかもしれない」
そう言いながらも、料理の本は自分が読んでも面白かった、とか。初心者向けの冒険手引きは駆け出しの頃に読んでおきたかった内容だった、とか。
読んできた本がどれだけ面白かったかと、題名と簡単な内容を含めながら満足そうに語っていた。
「あたしも一度行ってみよう」
興味をそそられる物がいくつかあったらしい、ミレスは楽しそうに言った。
「さて、それじゃ二人はしばらくゆっくりしてたら?あたしはジェイドが帰ってきたって報告して回るから」
「それは、……俺が自分で行った方が」
「いいの」
ジェイドの申し出を、ミレスは満面の笑みで拒否した。
「あたしだって、たまにはウォル君のギルドの人に挨拶したいもの」
ジェイドはそう言われて、納得しておく事にした。
大事になっているのだとしたら、どう考えてもウォルサードのギルド員にも迷惑をかけているはずだ。
ミレスにはマスターとしての責任を果たそうという思いもあるのだろう。
「それじゃ…」
行ってきますと続けようとした時に、黄色い疾風が飛び込んできた。
「ジェイドさーーーーーーーん!!!!」
身の危険を感じたジェイドが持っていた本を振りかぶろうとした瞬間、ウォルサードが抱きかかえてその位置をずらした。
勢いの付いたペコペコから更にダイブしてジェイドに抱きつこうとしていたコールは、誰も居なくなった地面にものの見事に墜落した。
ズシャ、という痛そうな効果音の後、続く沈黙。
誰一人動かず、つぶれた蛙のように地面にのびているコールを見守っている。
死んだかな?などと、ウォルサードが酷い事を思った時。コールがぴくり、と動いた。
その瞬間、全員が思わず一歩退いてしまった。
「………うぅぅ、……酷いぞウォルサード」
地面に伏したまま呻くように言う。
「いや、なんつーか。……お前の方が危険な気がしたんだが」
ジェイドの持つ分厚い本をちらりと見て、結果的にはどっちも酷いありさまになっていたな、と思う。
「色男が台無しじゃないか、くそぅ」
「……自分で言うなよ」
もそもそしながら起き上がって言うコールに、ウォルサードは律儀にツッコミを入れた。
鼻の頭が擦りむけていたが、顔そのもは無事なようだ。
砂まみれで汚れた服をはたいて、コールは二人に向き直った。
「ウォルサード、ちょっと借りてもいいかな?」
真面目な顔をして言う、そこに何かを察したように、ウォルサードはジェイドに絡めていた腕を解く。
自由の身になったジェイドを、今度はコールが優しく抱きしめた。
「おかえりなさい。……心配したんだ、本当に」
「ああ、……そうらしいな。迷惑をかけた」
いつもの軽い調子ではなく、真摯な声にジェイドも流石に良心が痛んだ。
どんな顔で言っているのか見てみたかったが、顔を向けようとしても耳までしか目に入らない。
「そんな事はもういいから、今度からは何か言ってから出かけてくれよ。せめてウォルサードには、ね」
「………そうするよ」
その返事に満足したのか安心したのか、コールは一瞬だけぎゅっと強く抱きしめる。
緩めた腕はそのままジェイドを開放するのかと思えば、背中をさわさわと撫で始めた。
「本当にもう、ジェイドがどんな奴にどんな目にあわされてるかと思うと、それだけでもう…」
「どうわぁ!」
下に滑り落ちてきた手が、ふくらみの谷間に指を這わせようとした時に、ウォルサードがコールの後頭部を思い切り強打した。



結局、ミレスはその場にて耳打ちでラヴニールへの連絡を済ませた。
その後を補足するようにウォルサードもギルドチャンネルを使って説明する。
図書館に篭っていたという言葉に、一番に反応したのはスペランツァだった。
後でジェイドと話をさせてくれと言うのに、あの製造ブラックスミスならジェイドと話が合うだろうと、ウォルサードは苦笑いしてその旨をジェイドに伝える。
しばらくその場で4人で話し、本を読みたがるジェイドと一緒にいたがるウォルサードを、とっとと帰れと送り出した。
今日は、二人でゆっくりしていればいいのだ。



当たり前のように自分の下宿に帰るジェイドについて部屋に入ったウォルサードは、見慣れない本の山が一つ増えている事に気が付く。
「また、……ずいぶんと借りてきたな」
「そうか?5冊までしか借り出せないからそれしか増えてないぞ」
「………」
良く見ながら数えてみると、確かに手に持っているのと合わせて5冊だった。
それぞれがおそろしく分厚いので、小山に見えただけらしい。
「また重量感溢れる本ばっかり…」
「せっかく借りるんだしな、なるべく内容の濃そうなのを選んだんだ」
内容が濃いんじゃなくて、たんにページ数の多いのを選んだんじゃないだろうか?
ウォルサードがひっそりとそんな事を思っている間に、ジェイドは文机に本を置くとさっさと椅子に座ってしまった。
全力で読書を始めるつもりらしい。
「あのさ…」
「ん?」
ジェイドはしおりを挟んだページを開くと、顔も向けずに声だけで返事をする。
「何か、あったのか?」
「………どうして?」
声が真後ろに回ってきたことに気が付きながら、ジェイドは本から目を離さずに答えた。
「いや、ミレスにも何も言ってないってのが気になって。……嫌な事でもあったのかと思って、さ」
本に手を添えながら、この男は気が利かないようでたまに勘が鋭いのが困る、と内心で舌打ちした。
「着いたら連絡しようと思ってたんだ。でも先にどんな本が増えたのか見ようと思ったら、そのまま…」
「読むのに没頭してたのかよ……」
はー、と、深い溜息が頭の後ろから聞こえた。
「まあ、それで良いけどさ」
言いながらウォルサードは椅子ごとジェイドの腕の下から抱きしめた。
納得したとは言いがたいようだが、これ以上追求するつもりは無いらしい。
顔が見えないのを良い事に、ジェイドはあからさまにほっとした。
「……読みづらい」
「それ、面白いか?」
ジェイドの肩の上にあごを乗せながら、苦情は聞き流してウォルサードは本を覗き込む。
そこには、予想したとおりの細かい文字がびっしりと並んでいた。
「一緒に読むか?」
「いや、いい。見てるだけで目が回りそうだ」
心の底から辟易していると言わんばかりの声に、思わず笑みを漏らしてジェイドはページをめくる。
「内容だけ教えてくれよ」
「魔法力学の文献だぞ、お前が面白いかどうかわからない」
「良いんだ、声が聞きたいだけだから」
ジェイドは、ふと本から顔を上げて考え込んだ。
「そう…だな、読んで来た本の中に昔の英雄の冒険譚があったな」
「あ、それなら尚更聞きたい」
絵本を読んであげると言われた子供のように弾んだ声を聞いて、ジェイドは今度こそ笑い声を上げた。
「……なんだよ」
「いや、…気にするな」
クスクスと笑いをもらしながらジェイドは本を閉じた。
「よくある話だ、英雄が姫を救い出して国を助ける…」
「……うん」
「大昔、まだ神々もこの地にいたころ。小さいが裕福な国が一つあった……」
自分を抱きしめていた手が、法衣の止め具を外し始めた事に気がつきながらも、ジェイドは語る言葉を止めなかった。
素肌の上を手のひらが滑って、上ずりながらも話す事を止めない。
抱き上げられて、寝台の上に運ばれてもなお、ジェイドは語り続けた。



姿を消してから皆がやきもきしている頃、ジェイドは本当にジュノーにいた。
灯りが抑えられ空調も管理されている、ジュノーの図書館の中で一人本のページを繰っている。
ウォルサードと二人で各地を練り歩き、疲れ切って帰った翌日の早朝には、もうジュノーにやってきていたのだ。
朝起きて、出発する前にパーティーは解体した。耳打ちもその時にすべて遮断している。
ギルドチャンネルで何度か呼びかけられた気がしたが、気が付かなかった事にして無視していた。
今はただ、ひたすら読書に没頭している。
ように見えた。
不意に、めくったページを元に戻す。
内容がまったく頭に入っていない事に気が付いたからだ。
どうかしている。
と、疲れ始めた目の間を揉み解しながらジェイドは思った。
顔を上げると、あたりに人影は無い。
ただ書棚に並べられた本の背表紙が、威圧的と言っていい程の景観で周りを取り囲んでいるだけだ。
ジェイドは読みかけの本をそのままに席を立つと、そのまま出口へと向かった。
途中、司書と挨拶を交わす。
滞在はまだ二日目だったが、昨日は一日中篭っていたのだ。
時折見回りや本の整理に訪れる司書には、もう顔を覚えられていた。
すぐに戻るので奥の部屋の本はそのままにして欲しいと、自分が座っていた席を告げて図書館を出る。
扉を出た途端、風がジェイドを包む。
空中都市だからだろうか、それとも単純にプロンテラよりも北に位置しているからだろうか。その風を冷たく感じて、ジェイドは小さく身震いした。
どうかしてる。
また、そう思って。
法衣を探り煙草を取り出すと、一本抜き出して口に銜えた。法衣の下、ベルトの後ろの部分に固定している物を手で探りながら扉から離れる。
図書館の角を曲がった所で、それを取り出した。
ウォルサードの銘が入った、炎の属性を持つダマスカス。
プリーストが持つには不釣合いなその短剣を、煙草の先端を薙ぐように軽く振る。
不思議なものだな、と、この動作を繰り返すたびに思う。
触れても熱を感じないのに、斬る動作で火をつける事が出来る。
土の属性を持つモンスターに大打撃を与えられるのだから、切る事で威力を発揮するのも頷けない事はない。
自分にとっては便利なマッチ代わりでしかないが、ブラックスミス達が造る属性をこめた武器には、ひとかどならぬ敬意を持っていた。
完全に支援型であるジェイドには、属性武器など縁のない物だったはずだが。この一本の短剣だけは、違った。
時折その存在感に温もりを感じるのは、きっとこの銘のせいだろう。
木枯らしのような風に吹かれる度、その温もりを求めるように強く握り締める。
吐き出した煙が風に乗って流れるのを、ぼんやりとした視線だけで追った。
秋枯れたようなジュノーの木立に、煙草の煙はなんと似合う事だろう。
自分が今感じているのが寂しさだと気が付いて、ジェイドは自嘲した。
ばかばかしい。
わかっている、それでも。
思い返すのはコールの言った台詞だった。
『いっつも同じ相手で飽きたら声かけてよ』
その言葉は、ジェイドがウォルサードに飽きたら、という意味で言われた事だった。
だが、それは自分にも当てはまるのだ。
まいったな。……飽きて捨てられるのが怖い、とはね。
その台詞を聞いた時、自分を襲った感情を思い出してジェイドは溜息をついた。
ばかばかしい、と、また思う。
たとえ本当に飽きたとしても、ウォルサードはそれを理由に人を簡単に捨てられる男ではない。
それは知っている。そして信じている。
でもだからこそ、不意に不安に襲われもするのだ。本当はどう思っているのか、と。
そんな質問を浴びせかけたら、きっと鳩が豆鉄砲でも食らったような顔をするに違いないのだけれど。
飽きなかったとしても、もっと物理的な理由で…。
………たとえば、……ゆるくなったとか。
ジェイドは自分の考えに苦虫を噛み潰したような顔をした。
イライラをぶつけるように、思い切り煙草を吸って盛大に煙を吐き出す。
たとえそんな事になっても、あの野郎は絶対に口を割らない。
だから自信が無くなる。
この身体は、もうずいぶんと抱かれる事に慣れてしまったから。
飽きられてしまったら、物足りなく感じられてしまったら。
自分はその時、どうすれば良いのだろう。
たとえその事を素直に聞いたとしても、そんな事はないと言うだろう。
愛していると言うだろう。
けれど、そんな言葉が聞きたい訳ではないのだ。
風に緩く流れてゆく煙草の煙を見つめながら、とりとめもなくそんな考えばかりが浮かぶ。
せっかく一緒にいられたはずの時間を、自分はなんて馬鹿な考えで消費しているのだろう。
無茶な行軍でも消えなかった考えを抱えて、つい衝動的にここまで来てしまったが。
握り締めた短剣の温もりだけでは足りなかった。
会いたい……。
単純な想いが心に浮かぶ。
結局、自分は好きで仕方がないだけなのだ。
けれどその単純な想いを、簡単に行動に移せるほどジェイドは素直ではない。
読み止しの本は興味深い内容で、他にも背表紙をざっと見ただけで読んでみたくなる本はいくらでもあった。
気が済むまで読書に耽ったら帰ろう。
どんなに自分が辛くても素直になれない。自覚していたがそれも仕方がない事だと、煙草をもみ消して本の山に帰る事にした。
何となく、まだウォルサードの元に帰りたくない。
その思いの中には、未読の書物に対する知的好奇心も確かにあったのだが。文字を追うのも辛くなるほど、自分を追い詰めたい気持ちが強かった。
会いたくて、会いたくて、死にそうになるくらいに。



「あー、今頃良い思いしてんだろうなぁ、羨ま憎い」
しみじみとコールがそんな事を言うものだから、ミレスは思わず笑い出した。
ウォルサードとジェイドが立ち去った後、二人ともなんとなくそのまま世間話に興じていたのだ。
「コール君も望み無いのに頑張るよねー」
「百万分の一でも可能性が無い訳じゃないでしょー」
そうかなー、と首をかしげるミレスに対して、コールは人差し指を軽く振りながら不敵に笑って見せた。
「ジェイドだって情にほだされる事もあるだろうし、うっかり浮気しちゃおうかなーって気分になる時もあるかもしれないじゃないか!」
「うっかりなんだ」
ミレスはまた笑い転げた。
「面白いよコール君……。でもあたしとしては、やっぱりそっとしておいてあげて欲しいんだけどな」
ひとしきり笑って、涙をぬぐってからミレスは言った。
あの二人がどれだけ時間をかけて今の状態に落ち着いたのかを知っている手前、どんなに面白くても応援する訳にはいかないのだ。
「それもいらない心配だと思うけどね。適度な刺激は恋人達には良い着火剤でしょ?」
にこやかにしれっと言うコールに、今度は呆れた顔をする。
「わかってやってるの?」
「いやー、ウォルサードが怒るたびにジェイドがちょっと嬉しそうなのが可愛くてー」
「………」
それで毎日のようにハンマーフォールを食らっているのでは世話は無い。
「さーて、次に会ったらノロケ話を聞きだしてやる!」
ぐっと拳を握り締めるコールを、呆れた気持ちのままミレスは見つめた。
確かに良い刺激かもしれないが、ご愁傷様、と。



見つめる先には愛しい男の顔がある。
自分を見上げて、薄く微笑みを浮かべて。
その腕は、自分の腰を押さえつけて……。
「それで?…魔物は、どうなった?」
「…っや、……んな、され…たら、しゃべれ…な……あぁ!」
服はだいぶ前に剥ぎ取られて、お互いに一糸まとわぬ姿で寝台の上にいた。
またぐように座るその箇所で、繋がりは深くなったり浅くなったり。
子供をあやすように揺らすその動きは逆効果でしかなく。そのたびに長い物語は途切れて、ただ喘ぎ声が漏れた。
「良い所…なのに」
「だっ…て、……や、…あっあー!」
指先に絡み取られた途端、ジェイドは叫び声をあげて熱を放った。
中にあった物も、急速にその力を失って行くのがわかる。それにはもう、自分を支える力も無くて。
身体を支えようとした両手はそれに失敗して、やけにゆっくりとした動作でジェイドはウォルサードの上に倒れこんだ。
お互いの荒い息に上下する胸の上で、波に揺られているような気分のまま。自分を抱きしめる腕と、髪をなでる指先にまどろむような心地でジェイドは目を閉じた。
少しずつ落ち着いてゆく呼吸、広い胸の暖かさが心地良い。
「あのさ、ジェイド」
「……ん?」
言葉を交わすと、胸の波が不規則に揺れる。
ジェイドの頬には、肋骨を覆う筋肉の動きがつぶさに伝わってきた。
「悩みとかあるなら、言ってくれた方が嬉しいけど。…言いたくない事なら、いいから」
「……………お前には」
関係ないと言おうとして、ジェイドは言葉を切った。
ジュノーで考えていた事を思い出して苦い表情になる。
関係なくは、ないのだ。
この男は何故、簡単に誤魔化されてくれないのだろう。
「………あんまり好きで、怖くなって逃げただけだ」
まんざら嘘ではない、その言葉に驚いたのが胸から振動で伝わってくる。
抱きしめてくる腕の力が強くなって、自分の放ったものが胸の下でぬるりと滑った。
「お前に逃げられたら、どうすればいいんだよ……」
「………追いかけてくれば良いだろう?」
その声はいつも通りのジェイドの不遜な声で。追いかけてくる事を、まるで信じて疑っていないようにウォルサードには聞こえた。
「そう…だな、今度いなくなったら待たない。地の果てだろうとどこだろうと追いかけてやる」
「………ん」
幸せそうに微笑んで、ジェイドは胸板に頬を摺り寄せた。
風の冷たかったジュノーで、一人立っていたあの時。この身体が欲しいと願っていたのは、確かにこの温もりだ。
暖かさに浸っていると、身体を包む腕が動いたと思った。
「よっ」
「…え!?」
弾みをつけられて視界が回る。次の瞬間には、ジェイドはウォルサードの顔を見上げていた。
しかも、みっともない格好で足を広げて。
そこは、まだ、繋がったまま……。
「ちょっ、……やめろ!」
降りてきた唇に耳朶をくすぐられ、慌てて身をよじる。
さっきまであまり感じなかった存在感が、自分の中で硬くなるのがわかった。
「もう良いだろう!読書に戻らせろ!」
「嫌だ」
触れてしまいそうな距離で、真剣な眼差しがジェイドを見ていた。
「お前の事で、もう我慢したくない」
思わず言葉を失って、その目を見つめ返した。
欲しい、と思ったのはこの男で。
捨てられたくないと思ったのも、この男だったからだ。
返事を返す代わりに、ジェイドはウォルサードの首に腕を絡めた。
「……物語の続きは、また今度」
呟くようなジェイドの囁きに、ウォルサードは笑みを返して口付けを落とした。
再開された律動が、また熱を呼び覚ます。
飽きるまで抱かれても良いじゃないか。この男はきっと、そうならないためにとんでもない事を考えてくるに違いないんだから。
5日間を埋めるような愛撫に追い詰められて、息も絶え絶えになりながらジェイドは思った。
愛してる。そう、好きなんだから、……仕方がない。
だから、そんな悩みはしばらく忘れていれば良い。
本にしおりをさすように。その時が来たら、また思い出して悩めばいいのだ。



「や…め、………もっ、…や…だ、……あ!」
「まだ、駄目」
優しく言う、その男は言葉とは裏腹に、いつまでたってもジェイドを開放してくれなかった。
「目一杯心配かけたんだから、少しくらいお仕置きされろよ」
「んっ……あ!……も、…だ……め」
何度目かももうわからないというのに、広げられた足の間を責め苛むものが力を失う気配は無い。
相手の限界よりも、大声を上げる気力も無くなるほど、ジェイドの体力の限界が近づいていた。
本当にゆるくなったらどうしてくれる!
と、心の中で罵倒して。抵抗しようにも、すでに腕も上がらない有様だった。
もうこんなに疲れているというのに。
この身体を本人よりも良く知っている男は、的確に煽って、追い詰めて。
「ウォ…ル、……い…く、……あ、…んっ」
意地悪なほど焦らして追い詰める男は、こんな時ばかり優しいキスを落とす。
悩んだ内容など、死んでも言うものか。
はちきれそうな絶頂感にクラクラとする頭で、ジェイドは心に誓った。
あんな事を素直に打ち明けたら、そんな事はないと証明するために、どれほど付き合わされるかわかったものじゃない。
上り詰めて開放される、その快楽の中で意識を手放して。迷惑をかけた人たちに挨拶回りに行くのはいつになるだろう、と、ジェイドは思った。
「愛してるよ、ジェイド」
最後に聞こえたのはそんな言葉。
優しい口付けの感触。
愛しげに抱き寄せる腕に気付く事無く、ジェイドは眠りに落ちていた。



―――なるほど、専門書がより充実したのだな。
「ええ。ざっと見ただけでも、かなりの数に。新しい解釈の斬新な理論が面白い本がありましたよ」

寝台の上に身体を起こし、ジェイドが耳打ちを送っているのは、昨日話すと約束したスペランツァだった。
案の定だるくて起きる気にもなれず、寝床に本を持ちこんで読んでいたところ、昼近くにスペランツァから耳打ちが来たのだ。
ウォルサードは昼飯の調達に出かけているところだった。

―――さっそく私も行って来よう。ラヴニールも引き連れて。
「ラヴニールさんもですか?」

思わず気の毒に、と思っていると、耳打ちから笑いが漏れる気配が伝わった。

―――あれも本は好きだからな、喜んで着いてくるだろう。
「そうですか。……ああ、長期滞在するなら、安めの良い宿がありましたよ」

ラヴニールはそれほど自分のギルドを放ってはおけないだろうが、スペランツァは気が済むまで図書館に入り浸るだろう。
どちらにせよ、この二人がしばらくジュノーに引きこもるならば、ウォルサードにギルドの用事が回ってくる事も無いはずだ。
5日間無駄にした分を取り戻せるくらいは、二人でゆっくりできるかもしれない。
宿の名前と場所をスペランツァに伝えながら、ジェイドはそんな事を思った。
礼を述べた後に途切れる耳打ち。この勢いなら、すぐにでもラヴニールの首根っこを捕まえてジュノーに発つつもりだろう。
もしかしたら自分がまたジュノーに赴いた時にも、まだスペランツァは滞在しているかもしれない。
そんな気がして、ジェイドは少し笑った。
実のところ、スペランツァどころかラヴニール自身が10日余りもジュノーに引きこもり。十分すぎるほど二人でゆっくり過ごす事ができた。
読書は遅々として進まず、読破には貸し出し期限ギリギリまでかかったという。

2006.3.31

あとがきっぽいもの

アホな騎士に名前をつけよう小説(何)をお読みくださりありがとうございます。
ええはい、書いた目的はそれです!
名前さえはっきりすればそれで良かったんですが、なんだか途中から楽しくなって妙に長くなってしまいました;
楽しくなったついでに登場人物を増やして更に増量する馬鹿っぷり・・・。
いえ、アホは良いですね・・・。

今回、大元のネタが下品でジェイドには申し訳なく(^^;
でもあれを本気で悩んでいたら可愛いと思うんですよ!(笑)
いつもは「どうやったら可愛くなるんだ・・・」と悩みつつ、偶然の産物で可愛くなる事はあったんですが。
可愛く書こうと思ったわけでもなく、こいつ可愛いなぁとか思いながら書けたのは初めてかもしれません(笑)

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